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ブルックが死んだ。2021年3月20日22時05分

本記事は情報発信を目的としておりません。私事ですが忘れたくない出来事を忘れないように殴り書きしたものです。備忘録ではありますが、ワンちゃんやネコちゃんを飼っている方ならもしかしたら参考にしていただけるかもしれません。興味のない方は気分が下がるだけと思うので読まないようお願い致します。

このツイートをした前日の出来事。

忘れないうちにその都度メモしておいたものを
名前だけ匿名にしてそのままアップする。

2021年3月20日23時48分

ブルックが死んだ。
ついさっき。一時間ほど前。

最後ブルック頑張ってた。

いつ死んでもおかしくない状態で
9時頃奥さんがこどもを寝かしつけ。

1時間ほど待ってたけどなかなか来ず、
ブルックの様子がかなり悪くなってきた気がしたので
呼びに行く。

ブルックは絶対最後は奥さんと一緒に居たいと思った。

奥さんがきて数分後、
呼吸が荒くなり奥さんを見つめたままブルックのお腹の上下が止まった。

そのあともたまに動いてはいたけどたぶん痙攣。
呼吸はもうしてなかった。

最後家族みんなでブルックみとれてよかった。

病院で亡くなるのも嫌やったろうし、
家族誰もいないところで死ぬのは怖いと思う。

ブルックもこれが一番良かったんかな。
辛かったやろうけど、ほんま頑張った。

もうしんどくないからゆっくり休んでほしい。

ブルックは夢からさめたら
いつもの元気な状態で朝起きて水飲んで
奥さんと散歩に行ってご飯ばくばく食べて
ペロペロしてソファ座ってる夢見てるんかもしれん。

そうだといいなと思う。

気持ちの整理はつかんけど
とりあえず明日日曜に火葬の準備だけしないといけない。

ブルックの形が無くなるのは辛すぎるけど
冷たくなったブルックを何日も放置するのは可哀そう。
早く供養してあげたい。

ありがとうしかない。
未練はあるけど後悔はない。

ブルックほんま今まで一緒に暮らしてくれてありがとう。

ずっと一緒にいれんのはわかってたけど、
こんなに悲しいなんかわからんかったわ。

誰かが死んではじめて涙が出た。
今まで身内でも友達でも出んかった。

もう苦しんでほしくない。
辛い思いとか怖い思いしてほしくない。

ゆっくり寝て、ここにはブルックはおらんけど
ブルックの夢の中でまた明日からまったり日常を過ごしてくれ。

今までありがとう、ブルック。
バイバイ。息子。忘れんとってくれたら嬉しいな。

備忘録 時系列に残しておく

2月中旬 バレンタインデー頃

ブルックの調子が良くない。下痢や嘔吐がはじまる。たまに調子がいい日もある。

2月20日

奥さんが仕事で4日間秋田へ。夜の散歩でもやはり調子は悪い。
このまま下痢や嘔吐が続くようなら病院へ行こうと思う

3月3日

事前に予約をしてこの一連のことではじめて病院へ。
この日に血液検査をして肝臓の数値が良くないことを知る。
レントゲンとスキャンは後日にしてとりあえず内科治療で薬をもらう。

3月6日

薬でもよくならない。というか薬が嫌いすぎて飲まなくなっていた。
薬が食べるのが嫌でご飯も食べないor残す。
今思うとこの頃から食べるのもしんどかったんだと思う

3月10日

再度病院で精密検査。今回はレントゲンとスキャンで内臓の様子を探る。
結果、肝臓の形が明らかにボコボコしておかしい。
胆のうも白い壁ができていて、泥もかなり貯まっている様子。
膵臓に腫瘍のような影もみられた。ただこれは良性の可能性も全然あると。

見た感じだと肝炎、肝硬変、肝臓癌などの可能性が高い。
これ以上は検査ではわからないので、手術で腹を開いて実際に見るしかないとのこと。

内視鏡でも診れないことはないけど、細胞を採取するときに出血して
もし血が止まりにくい状態(DIC)だと結局腹を切って処置することになるので、
はじめから切って確認、胆のう摘出、膵臓も摘出、同時に胃腸の内視鏡カメラで全部検査したほうがいいと。
一回の手術で終わるように負担を減らすために、そういう方向性を考えているという話だった。

いきなり深刻な現実を突きつけられて、質問ありますか?と聞かれても
質問ありすぎて一旦今日は妻と話し合ってみますとしか言えなかった。

受け入れがたい。
でもこのまま放置すればおそらく1ヵ月も生きてられるかどうからしい。
徐々に食べられなくなって水も飲まなくなって痩せていって亡くなるらしい。

費用も一応聞いた。約40万円。
決して安くはないけど思ったよりも正直かからないんだなと思った。

家に帰ってから奥さん返ってくるまでに自分のできることをしようと思って
そっこうで迷っていたBTCのほんの一部を利確した。

脳みそはちょっとしたパニック状態だったけど
なぜかその時は冷静に準備だけでもしておこうと淡々とできた。

夜奥さんが帰ってきてすぐ話し合いたかったけど、
こんな話をするとご飯も喉とおらんと思って
奥さんがご飯食べてから、今日の話をした。

二人で手術をするのか?しないのか?決めないといけない。
奥さんの結論は意外と早く、手術する。だった。

俺もそれに同意した。
50%でも20%でも希望があるならコストは関係ないと決意した。
大事なものを守るためにお金を使う。そのためにお金を稼いできた。

今思うと心のどこかでは、
やらなかった後悔やコストを判断材料に入れた後悔で
あとで苦しむのが嫌だったのかもしれん。

それでも、ブルックも怖いし辛いししんどいかもしれんけど、
まだ9歳という若さで、手術に耐えられるんじゃないか。
耐えてその後回復するんじゃないかという希望があった。

手術は決定。日にちだけ予約して決めて、
覚悟しながらその日に臨んだ。

3月16日

手術当日。午前中にあずけて検査してから手術の予定だった。
夕方手術が終わったら面会する予定だったけど、

11時半頃に先生から電話がなった。
血液検査をしたら血がかたまりにくいとのこと。
一番危惧していたDICの疑いが濃厚。手術に耐えられるかわからないと。

手術自体のリスクもかなり大きくなる。
助かる確率は半々と言われ、奥さんに相談するため一旦手術保留。

今日の朝、さっきあったのが最後になる可能性が50%もあると思うと、
そのまま手術にいかせることができんかった。

奥さんも仕事中で、電話したけど繋がらんし、
今日の朝がブルックに会うの最後になるなんか耐えられんやろうと思って、
そう決断した。

輸血の準備だけ進めてもらう。

その日の夜奥さんが帰ってきてからすぐ病院へ。

昼間の検査の結果、かなり状態は良くない。
早く胆のうだけでも取らないと、数日以内に亡くなると言われ手術の決断を迫られる。

50%に賭けて輸血しながらの緊急手術。八時前から先生が来られる21時までブルックを抱っこして、これで最後かもと覚悟を決める。
家に帰って23時半頃に先生から連絡あり。手術は無事終わったと。一安心。
病院まで急いでブルックの様子を見に行くと、ぐったりしていた。麻酔がきいている様子。
とりあえず自分で血が作れるようになるまで、2~3日にもう一つ山が来ることを先生から聞いた。
摘出した胆のうやオペ中の肝臓の様子などを見せてもらった。
思った通りかなり状態は悪く、肝臓はぼこぼこ。肝硬変に近いような状態。
胆のうも赤い血筋がたくさん入っていて明らかに正常ではなかった。
手術に賭けてよかった。

3月17日

こどもを送ってからブルックの面会。
昨日のぐったりな様子を心配していたが、ICUに入られているブルックに
ブルックー!来たよー。大丈夫ー?と声をかけると耳を動かしてこちらを見た。

立ち上がってしっぱふりふり。昨晩よりかなり元気に見えた。

エリザベスカラーを取ってガラス版ごしに必死にこっちに来ようとする。
とりあえず一安心。このまま回復するかのように思えた。

夕方はこどもを保育園へ迎えにいってそのまま面会。
奥さんも仕事を早めに切り上げて病院で待ち合わせ。

この時もブルックは自分から奥さんのひざの上に乗りにくるくらい元気があった。
ただ手術のお腹のあとはかなり見ててつらい。痛そう。
明日また面会に来ることを伝えその日はブルックそのまま病院で様子見。

3月18日

同じようにこどもを保育園を送ってブルック面会。
昨晩よりはしんどそうだった。血液検査の結果もよろしくない。
相変わらずタンパクの値も低いままで血小板を作られていない様子。

ただあまりにもブルックが可哀そうだから通院に出来ないかと聞くと、
今日の夜から夜だけおうちに持って帰ってもらってOKとのこと。

もし死ぬとしても最後にまた一緒に寝れると思って嬉しかった。

夜はこどもを連れて一緒にお迎え。ブルックを車にのせ駅でそのまま奥さんも拾う。
ちょっとだけ散歩いって、おしっこと真っ黒なウンコ。

3月19日

朝起きてすぐに俺がブルックの散歩。
おしっこは大量。ウンチも真っ黒な柔らかめのやつ。
こどもを保育園送ってからブルックを病院へ。
回復に望みをかける。先生的にも望みは50%よりは低めかもとのこと。

夜またお迎え。この日に先生と相談するもやはり回復まだしてない。
このまま毎日ブルックにストレスをかけ続けて病院で治療するか?望みはないわけではながかなり薄い。
それともステロイドを打って痛みを緩和させてもらって家でみとるか?ブルックにとってはこれが一番幸せなのでは?
近いうちの決断を迫られる。決められない。

家に帰ってこどもとちょっとだけブルックの散歩いって、おしっこだけ出る。
この時も歩くのはちょっとしんどそう。

この日も夜また一緒に寝れる。嬉しい。

たまに夜中起きて水を大量に飲んでおしっこする。
これまでやってたけど、この日は夜中3時まで1時間おきくらいに
水とオシッコを繰り返していた。
辛そうではあるが自分でまだ歩けてはいた。

3月20日 命日

朝散歩にいこうとしたけど、この日はぐったり。
散歩にすらいけなかった。庭でおしっこだけでもと思ったけど
動きたくなさそうだったのでそのまま庭で日向ぼっこ。

ご飯も食べないし水も飲まない。

11時頃ブルックつれて家族みんなで病院へ。

先生の話を聞いて、せめて一週間だけでも回復にかけて治療を続けたいと
言っていた奥さんの考えも変わってきた。
8割方もうステロイドで自宅療養がいいかもと。俺もそう思った。

この日の朝までは治療も考えたが、あまりに見た感じこれまで以上にしんどそうだった。
そのことを先生に伝えると、そのほうがいいかもしれないとのこと。

エコーで見るとお腹にかなりおそらく血がたまっていた。
うしろ足も水?か血がたまってぷにゅぷにゅになっていた。赤ちゃんみたい。

ふたりで決断し、ステロイドをうってもらって自宅に戻る。
もう苦しい思いをさせずに済む。

家でゆっくり看取るだけと思うと、少し気分は楽になった。

お昼ごろ帰ってきてもブルックはぐったり。
ただ多少ステロイドがきいているのか気持ちよく寝ているようにも見える。

ブルックと過ごせる時間がもうあまりないので
昼から夜までずっとブルックの横で一緒に過ごした。

一度だけ水を飲むために立ち上がったがフラフラで倒れそうになっていた。
ソファから降りることも困難で、こんなブルックは始めてみた。
夜中まではもっとまともに歩いて水のみに行ってたのに。
死期が近いことがなんとなくわかった。

夜9時頃、こどもだけでも先に寝かすため奥さんが2階で寝かしつけ。
その間も俺はリビングでブルックをずっと撫でながら、声をかけながら見ていた。

10時頃、たまに呼吸が荒くなったりして変だった。
眼球もきょろキョロして明らかにもう終わりが近いと感じた。まぶたも重そう。

奥さんがなかなか降りてこないので寝てしまったのではと思い起こしにいくと、
こどももまだ寝ていなかった。でももう時間がないと思ったから
こどもを俺が抱いて奥さんも一緒にブルックのそばにいてあげてほしかった。

奥さんがブルックのそばについてすぐ、ブルックが辛そうになった。
呼吸もしにくそうで、フガフガ言い始めた。
俺はこども抱っこしながらお腹の呼吸の上下をみる。
奥さんはブルックの顔をもって見つめ合った状態。
ブルックも必死に奥さんの顔みようとしてた。
でもたぶん焦点会ってない。
ブルックいるよー!ここにいるよー!ていう声は聞こえてたように思う。

しばらくしてすぐ、そのまま息を引き取った。

目開けたままで数秒はビクってたまに動く。痙攣。
生きてるかと思ったけどそんなわけないのも同時にわかった。

最後はちょっと辛そうだったけど、
今思うのは最後がちゃんと家族みんなで看取れてよかった。
病院で亡くなるより家族に囲まれて亡くなるほうがいい。

その瞬間はあっけなさすぎて、悲しさというより
お疲れさまと思った。やっと楽になってくれたと思った。

こどもが場の空気を読んでずっとしゃべってたり、
「カカなんで泣いてるの?」と聞いたりティッシュ持ってきてくれたり。

ブルックにも娘にもありがとうしかなかった。

すぐにちょっとずつ冷たくなっていくブルック。
ベッドにトイレシートを引き詰めて最後に一緒に寝ることにした。

液体が漏れないようにバスタオルにくるんで、そのままベッドのところへ運ぶ。

その後は冷たくなっていくブルックの撫でながら、
だっこしたら噛んでみたり臭いをかみしめてみたり。

お腹のほうがまだあったかかったからなでなでした。

その時に急に色んな思い出とか感情がこみ上げてきて泣いた。

奥さんの前で泣いたんはじめてかも。
誰かが死んで泣いたのも生まれてはじめてかも。たぶんそう。

ブルックの存在はでかかった。

いつかこうなることは理解していたし、
病院で何度も覚悟は決めたつもりだったけど

いざ目の前でブルックがいつもみたいな寝顔で
冷たく固くなっていくのを感じると、
もう確実に戻ってこないと感じると、

寂しい気持ちと、悲しい気持ちと、
これでよかったのかという気持ちと、

同時に愛おしい気持ちと、今までありがとうという気持ちと、
現実的にこれから火葬の申し込みや手続きとかと、
頭がぐちゃぐちゃに整理できなくなって。

でも自分がしっかりしないと奥さんも辛いやろうし、
娘もまた明日からいつもの明日が始まるし、
自分がやれることをやろうと思った。

こどもは俺と奥さんが泣いてブルックを囲んでいる間、
おとなしくタブレットでYooutube見てた。

眠たいし小さいなりに何か察しているようにも見えた。
娘にもブルックへのありがとうとバイバイを行ってもらって、
その日は奥さんの布団の足元でブルックをくるんで寝た。

落ち着こうと思って酒飲んでみたけど味しない。
どれだけ飲んでも酔わない。

葬儀屋だけ下調べして、俺もすぐに寝た。

朝起きてすぐにブルックを確認。
昨夜よりも固く、冷たかった。目がちょっとあいてた。

火葬するのも辛いかもと思ったけど、
ここにもうブルックはいないことを感じた。

身体はあるけど、外見って感じで宿ってる感じがしない。
ブルックは心の中でずっと生き続ける。絶対忘れんと思う。

でも自分の記憶に自信もない。
だから今の気持ちをとりあえず思うように書いておく。

今これを書いているのが
3/21日、時計をみると朝の7:53

さあ葬儀屋に電話して、予約できるか聞いてみようか。

昨日の夜から雨がやまない。
しとしと暗い朝。

できればブルックと最後散歩して、
大好きな日向ぼっこしたかったな。

わがままか。ごめん。ありがとう。

 

 

 

後日追記

肝臓は80%以上壊滅状態にならないと本人症状が出ないので、定期的に血液検査しながら体調の変化に気を配ったほうがいいです。シニアになると特に。

ペット保険は入っていませんでしたが、今でも入らなくて良いというのが持論です。コスト的には今回の一連すべて人間と比べても決して安くはない費用かかりましたが、結果論に過ぎません。確率論で行くと入らないが正解です。

もし例えばシニアになる7歳から入っていたと仮定しても、適用外の治療も多く保険料と相殺されてそこまで得というほとではないです。平均寿命まで生きることを考えるとおそらく損する人がほとんどです。

愛する家族の一員のためにも、万が一に備えて保険料を払うよりそのお金を病気になる前の予防医学、定期健診に回してあげることをおすすめします。